バトンは、まだ終わってない
去年の体育祭を思い出すたび、胸の奥がきしむ。
混合リレー、第三走者。俺はそこで転んだ。
バトンを受け取った瞬間、足がもつれて、視界が一回転した。
砂の味と、観客のどよめき。
そのまま、うちのクラスは最下位になった。
「ドンマイ」
そう声をかけられるたび、心が少しずつ削られていった。
励ましなのは分かってる。でも、あの転倒は“俺のせい”で、“俺だけの失敗”だった。
そして今年。
二年生になった俺たちは、また混合リレーに出ることになった。
「今年も、お前でいくから」
体育祭実行委員の篠森が、あっさり言った。
去年のことを知ってるくせに。
一瞬、逃げたいと思った。でも――逃げたら、去年が一生ついてくる。
「……分かった」
そう答えた自分の声は、少しだけ震えていた。
練習は、正直きつかった。
特にバトンパス。
「もっと近くで受け取って!」
「悠斗、目切るの早い!」
女子の佐伯が、容赦なく指摘してくる。
彼女は走るのが速いし、去年もノーミスだった。
だからこそ、俺は余計にプレッシャーを感じていた。
そんな空気を、ふっと和らげるのが彩香だった。
「大丈夫大丈夫! 去年は転んだだけ!
今年は“転ばない悠斗”が見られるってことでしょ?」
無責任に見えるけど、不思議と救われた。
転んだのは事実。
でも、“それだけ”でもある。
少しずつ、そう思えるようになっていった。
体育祭当日。
空は抜けるように青くて、やたらと眩しかった。
トラックのスタートラインに立つと、心臓の音がうるさい。
観客席のざわめき、応援の声、スピーカーのハウリング。
第一走者がスタートする。
第二走者、第三走者――俺の番が、近づいてくる。
佐伯が走ってくるのが見えた。
去年より、ずっと近くまで引きつけてくる。
「いくよ!」
声と同時に、バトンが差し出される。
――去年と、同じ場面。
でも、違うのは。
俺は、前を見ていた。
手に伝わる確かな感触。
バトンは、落ちない。
足は、もつれない。
カーブを抜け、直線へ。
「悠斗ー!!」
どこからか、彩香の声が聞こえた。
「もう、終わったことだ」
そう、心の中で言っていた。
最後の走者にバトンを渡す。
完璧じゃない。でも、確実に。
結果は――二位。
優勝には届かなかった。
でも、誰も下を向いていなかった。
「ナイスラン!」
「去年のリベンジ、成功じゃん!」
ああ、俺は“転んだやつ”じゃなくなったんだ。
後片付けの帰り道、夕焼けがトラックを染めていた。
「去年のこと、誰も思い出してなかったと思うぞ」
バトンは、渡された。
失敗も、悔しさも、全部含めて。
体育祭の混合リレーは、もう終わった。
だけど俺の中で、去年のバトンは――
ようやく、前に進んだ気がした。

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