春の風が体育館の屋根をくすぐるころ、風花(ふうか)はいつものように教室の窓際でノートに落書きをしていた。落書きと言っても、本当は授業中の退屈しのぎに生まれた小さな世界だ。うすい鉛筆線で描かれた猫の耳のついた少女や、空に浮かぶ小さな家──そんなものを見ていると、世界がふっとやわらかくなる。
そこへ、クラスの中心にいる「不良」グループがやって来た。リーダーの名は相良(さがら)蓮。坊主頭に革ジャン、いつも鼻の先にタバコの灰をくっつけているような男だ。彼が教室の前に立つと、自然と空気が締まる。だが、蓮の目は不器用で、どこか少年の翳りを残している。
「おい、風花。今日の放課後、ちょっと来いよ」
周りのざわめきをよそに、蓮は短くそう言った。風花は一瞬、心臓が跳ねた。蓮が誰かと二人きりで話すのは稀だ。しかも、その相手が自分だなんて。
放課後――。
校舎裏の自転車置き場は、夕焼けのオレンジに染まっていた。蓮は古いベンチに深く腰を下ろし、無造作にポケットからガムを出してかじった。風花は意を決してベンチの端に座る。
「なんだよ?」
蓮の声は柔らかくはなかったが、きつくもない。風花はあらかじめ用意していた言葉を飲み込み、自分の耳元で鳴る鼓動と向き合った。
「文化祭の、ポスター描いてくれない?」
蓮の頼みは唐突だった。しかも、その言い方があまりに無愛想で、風花は一瞬呆然とした。「不良」が文化祭に関わるとは誰も思っていない。だが蓮は真面目に続けた。
「俺ら、仕切ることになった。面倒だから、目立つやつにしてほしい。お前、絵上手いだろ」
風花は顔を赤らめた。絵は好きだが、人に頼まれるとなると急に自信が揺らぐ。しかも相手が――。
「いいよ。やってあげる」
それはお互いにとって、小さな賭けのような合意だった。
第一章:落書きとバイク
数日後、風花は放課後の美術室でポスターを描き始めた。テーマは「夜の学園祭」。蓮のリクエストは「迫力と親しみ、あとインパクト」。ざっくりしているようで、核心をついている。風花は鮮やかな色鉛筆とアクリルで構図を取り、夕暮れの校舎に大きな月をかけた。その中に、蓮の横顔を想像して小さくシルエットを描き込む。
「お、いいじゃん」
蓮は現れて、黙って風花の背後に立った。その距離は自然と縮まる。風花はしばらく気づかずに色を重ねていたが、誰かの呼吸を背中に感じ、やっと振り向いた。
「これ、うちのグループのバイクも入れてくれ」
蓮が指差したのは、校門前にいつも止めてあるボロいカブだ。あまりに年季が入っていて、見ようによっては芸術的な汚れ方をしている。蓮はそのバイクを、相棒のようにしている。
「バイク、描くの難しいよ?」
「任せる」
蓮はその後ろ姿で去っていった。風花はまた頬を熱くしながら、バイクのシルエットに挑んだ。
文化祭当日、ポスターは生徒たちの注目を集めた。大胆な構図、温かい色使い、そしてどこか切なさを含んだシルエット。蓮のグループも誇らしげにその前で写真を撮った。知らない人が見れば不良と芸術の奇妙なコラボだが、見ている者は皆、どこか和んでいた。
第二章:からかいと告白の練習
文化祭が終わると、蓮たちのグループは学園の裏で「夜間の屋台」を開いた。だが屋台はどこかぎこちない。売るのは手作りの唐揚げや、なぜかミスマッチなタコ焼き。客は思ったより来なかったが、来た客は笑顔で帰っていく。
「おい、相良。なんでそんな顔してるんだよ」
仲間の一人、直人が蓮の耳元で茶化した。蓮は眉を寄せたが、風花の視線を見つけると小さく目を細めた。
その夜、風花は夜道を歩いて帰ることになった。蓮がふらりと現れて、彼女の後ろをついてきた。
「俺、さっきから考えてたんだ。告白ってさ、どうすんのが正解なんだ?」
風花は思わず笑ってしまった。相良蓮が恋の指南を求めるなんて、想像の枠を飛び越えている。
「練習してほしいんだ」
こうして始まったのが、蓮の“告白の練習”だった。放課後の体育倉庫、廃部になった茶道部の和室、夜の図書室――ふたりは奇妙なシチュエーションで告白の練習を繰り返した。蓮は真剣に、しかしぎこちなく、何度も「好きだ」と言った。風花は誤って笑いそうになりながら、彼の言葉に耳を傾けた。
「好きだ」
「……って、もっとこう、胸がぎゅっとなる感じで言ってくれよ」
蓮は怒るふりをしたが、目の端に浮かぶ不器用な優しさは消えなかった。風花は、そんな蓮がますます気になってしまう自分に戸惑った。
第三章:誤解と変わらない優しさ
学年が進むにつれ、蓮の周囲には新しい問題が舞い込んできた。地域の小さなトラブル、先輩との確執、そして家の事情。蓮の父親は単身赴任で、家計は厳しい。表向きは無頓着だが、蓮は内心でいつも燃えている部分があった。
そんなある日、風花は蓮が誰かと口論している場面を目撃する。その相手は近所の不動産屋の男で、蓮の家の立ち退き問題に関わっていた。言い争いは激しく、蓮は拳を振り上げる寸前だった。風花は慌てて間に割って入り、無理やり蓮の腕を掴んだ。
「やめて、蓮!」
蓮は不意に我に返り、肩を震わせた。静けさが広がると、蓮はぽつりと言った。
「……お前、見ちゃったか」
風花は首を振った。言葉を選びながら、彼女は蓮の手を取ってこう言った。
「そんなこと、どうだっていいよ。私、あなたのことが……」
言葉はそこで詰まりかけたが、風花は続けた。「あなたがどんなに怒っても、どんなに強がっても、私には見えるんだ。本当は優しいところが」
蓮は一瞬目を見開き、次の瞬間、きっと彼にとっては珍しい笑みが零れた。しかしその時、周囲からの冷たい視線と噂がふたりの間に入り込み、誤解が生まれる。噂はいつだって歌いやすく、真実よりも早く広がる。
第四章:仲間ってなんだろう
噂は蓮の評判を傷つけ、グループの仲間もぎくしゃくし始めた。直人は蓮に詰め寄り、蓮は激しく言い返す。なにもかもが壊れそうに見えた。
「お前、何がしたいんだよ!」
「俺は……仲間を守りたいだけだ!」
その夜、風花は蓮のもとへ走った。誰よりも早く蓮の胸の内を知りたい衝動にかられたからだ。蓮は薄暗い路地で、膝を抱えて座っていた。風花が近づくと、蓮は顔を上げた。
「なんで、こんなことに。俺は……」
「そんなこと、全部関係ないよ。あなたがどういう人か、私がわかってるから」
風花は蓮の手を握りしめた。蓮はぎゅっと目を閉じる。長い間閉じていた感情の扉が、少しだけ開いたようだった。
仲間たちも徐々に誤解を解き、再び一つになろうとする。直人は蓮に頭を下げ、先輩も自分の過ちを認めた。大人たちの世界は相変わらず傍観するが、若者たちは自分たちなりに答えを出していく。
第五章:初恋の形
季節はまた巡り、二人は進路や未来について語り合うようになった。蓮はバイク整備士になることを考えていると告げ、風花は街の図書館で働く夢をぽつりと言った。未来はまだぼんやりしているが、二人はその輪郭を共有し始めた。
ある夜、ふたりは学校の屋上に登った。冬の空は澄んでいて、星が冷たく輝いている。蓮は風花の手を取り、ぎこちなく、しかし確かな口調で言った。
「風花。俺、ずっと昔からお前のことが好きだった」
風花は目を細め、空を見上げた。星は変わらずにそこにある。彼女はゆっくりと振り向き、蓮の顔を見た。
「私も、あなたのことが好き」
互いに向ける言葉は、シンプルで、それでいて重かった。笑いながら泣き、泣きながら笑う、そんな瞬間がふたりを包む。
第六章:卒業、そして始まり
卒業式の日、蓮はいつもどおり不良の格好で現れたが、卒業証書を受け取る姿はどこか凛としていた。風花は彼を見つめ、胸の奥が熱くなった。仲間たちも一緒に見守る。彼らは、ただの問題児の集団ではなく、青春を掴むためにぶつかり合った一群だった。
式が終わると、ふたりは最後に学校の図書室の片隅で小さな約束をした。
「いつか、ちゃんとした場所で二人で暮らそうな」
蓮の言葉は、実際にはまだ遠い夢かもしれない。でもふたりは笑って頷いた。歩みは遅くても、確かに前へ進んでいた。
それから数年後、駅前の小さな整備工場と、街の小さな図書館で、蓮と風花は働いていた。彼らは時折、昔の仲間を訪ね、自転車置き場のあのベンチに座っては、当時の無鉄砲さを笑い合った。
人生は必ずしもスムーズではない。だけど、あの頃の騒がしさが二人の糧となり、時に笑いを、生きる力を与えてくれる。ヤンキーだった蓮は、愛と責任を学び、普通の女の子だった風花は、少しだけ冒険心を持った女性になった。
――傷だらけのジャケットも、ぼろいバイクも、きっとどこかで輝いている。大切なのは、誰かと一緒に笑えること。そして、手を離さずに歩き続けること。


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